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「漢字絵とき字典」

下村昇・著 / 論創社・刊 / 3500円



はじめに

 漢字には豊かな表情があります。漢字を見ていると、これらの漢字を作り出した昔の人々と無言のうちに対話ができます。例えば、「包む」という字、これは女の人が、身籠もったおなかの子を、両手で大事に包み込むように、抱きかかえている形からできました。ですから、「包」には、「はらむ・身籠もる・包む・とりいれる・含む」などの意味があります。
 しかし、「包」に、始めからたくさんの意味があったわけではありません。今述べたように、「包」の大もとの意味は、その形から、「はらむ・身ごもる・子が腹の中にある」という意味でした。しかし、時代が進み、文字の使用が盛んになるにつれて、「身籠もる」ことは、「包み込む」ことと同概念だ、「包み込む」ことは「含む」ことと同じだというわけで、一つの漢字の意味は、概念的に広がっていきました。こうして、幅広い意味が派生して、いろいろに使われてきました。このようして、時代と共に漢字の持つ意味や使い方は広がっていったのでした。
 もうひとつ、例を出しましょう。「服」という言葉があります。この「服」には、「服従」「服役」「服務」のように、「したがう、従事する」意味があります。そのほかに、「服装」「洋服」「和服」のように、「着物・服」の意味もありますし、「着服」「服用」のように、「自分のものにする・身につける」という意味もあります。そればかりでなく、さらには、お茶を「一服」「頓服」「服毒自殺」のように、「飲む」意味もあるといった具合です。
 こうして、意味が広がるにつれて、漢字も増えました。一つの字でたくさんの意味を持つようになることは便利ではありましたが、反面、不便も感じるようになりました。それで、一つの字でいくつかの意味を兼用するのでなく、一つの字で、一つの概念を表したくなります。これを意味の限定性といい、漢字の特色ともなっています。
 では、漢字はどのようにして増えていったのでしょう。大昔から、中国では、揚子江・黄河といった大河を中心に、水上交通が盛んでした。船ですと、たくさんの荷物が一度に運べて、効率的です。運ぶ荷は、当然の事ながら、積み下ろしします。その様子を表したのが、「受」という字です。「受」は、船で運んできた荷物を、船の中の手と、陸にいる手とが、よいしょ、よいしょと手渡しする形からできました。そして、「受」は、「受け取る」と、「手渡す」という、両概念を持っていたのです。しかし、それでは不便だということになり、従来の「受」を「受け取る」意味に限定しました。そして、貰うほうを表す字としては、新たに「渡す・さずける・やる」意味の字として、「受」にもうひとつ「手」(てへん)をつけた、「授」を作りました。こうして、「貰う」と「やる」を区別しました。ですから、現在では、「受け渡し」することを「授受」といいます。 
 先の「包」でいえば、もともと「はらむ、みごもる」意味だった「包」には、これにボディを表す「月」(にくづき)をつけて、「胞」という字を作りました。また「包」に「てへん」をつけて「抱く」という字を作りました。手で包み込むようにして、大事に抱きかかえるという気持ちです。「包」に「さんずい」をつけたものは、「泡」です。水の中の空気を大事に包み込んだものが、「泡」だというわけです。漢字はこうして増えていきました。
 このように、いろいろな漢字を見ていると、古代の人たちの知恵の豊かさに感心してしまいます。しかし残念なことに、現在わたしたちが使っている漢字は、一九四六年十一月に制定された当用漢字の流れを汲む「常用漢字」です。常用漢字は、異体の統合、略体の採用、点画の整理により、本来の漢字と、字体の異なるものが少なくありません。「學」は「学」に変わり、「臺」は「台」に変わりました。現在使用している「突」の旧字体は、「穴」と「犬」でした。穴から犬が突然飛び出すという気持ちで、「出し抜けに、にわかに、つく、つきあたる」などの意味だったわけです。しかし、現在の字体では、「犬」の部分が、「大」に変わっていますから「知らない間に穴が大きくなった」ので「出し抜けに」の意味だとしなければならなくなります。
 このように字体が変わると、本来の字源は教えにくくなります。「數」は「数」に変わりましたが、今でも、手もとの字典を見ますと「数」の字源として「數」を説明しています。しかも「婁」(ロウ)の解釈は、机上にある三冊の字典を見ますと、三冊とも異なります。だからといって、わたしたちは「婁」の意味として、どれが正しいかを論議するなどということはありません。わたしたちにとって「スウ・かず」は、「数」であって、「數」ではないからです。「米」と「女」と「攵」とから成る「数」なのです。「米」はなんだろう、「女」はなんだろう、「攵」はなんだろう、と考えるのがふつうです。まれには漢字好きな人がいて、なぜ「婁」という形が「米」と「女」の形に変わったのかと問題にすることはあるでしょうけれども、それは特殊です。
ところで、本来、漢字の研究は「形」「音」「義」の三方向からなされるのがふつうです。「形」というのは、漢字を組み立てている点や線、漢字の図形要素ともいうべきものです。「音」はその漢字の、ことばとしての読み方であり、「義」はその漢字の意義的要素です。漢字研究では、「形」「義」を中心とした研究(訓詁学)が進められたり、「音」を主とした研究(音韻学)が進められたりしてきました。これらは、漢字研究としては正しいものではありません。「形」「音」「義」を含む三部門を一体として、研究されるべきものだということは、周知のとおりです。しかし、漢字研究の書物としてでなく、漢字を「現在のメルヘン」として考えると面白くなります。その面白さを漢字を覚える手段として、ユーモアを持って、楽しく活用するのです。この立場に立てば、また別の方法が考えられていいのではないかと思います。
 「あいだ、カン」という字の旧字体は「門」と「月」で、「門の間から月の光が射し込む」意味です。しかし、現在の字形は「門」と「月」でなく、「門」と「日」とで「間」という字ですから、見たままの形で、「閉めた門の隙間から日の光のもれている形」だとするわけです。見たままの形にそって、説明することによって、漢字の楽しさ、おもしろさ、身近さを感じます。
 現在の使用漢字は、およそ八十パーセント以上が形声文字といわれるものです。それなのに、その発音を表す部分が、発音機能を失っているものが少なくありません。たとえば「家」は、漢音で「カ」、呉音で「ケ」と読みますが、この音を表す「豕」を「カ」と読めるでしょうか。また「空」は、漢音で「コウ」、呉音で「クウ」、慣用音で「ク」です。(本によっては呉音と慣用音が逆のものもあります。)そして、この「空」の音は、「工・コウ」だといいます。しかし、お手もとの辞典類で音訓索引の「コウ」の項に、「空」がでているでしょうか。現在、我が国では「空」を「コウ」とは読みません。この「空」が、「コウ」という発音で残っているのは、「控除」の「控」、「口腔」の「腔」などだけです。しかし、「腔」は常用漢字外ですし、「控」は常用漢字ではありますが、教育漢字ではありません。形声文字とはいっても、現在でも音声的要素として生きている字はいくらもありません。だとしたならば、約一千字の学習漢字を象形・指事・会意的に考えて、現在のメルヘンとして、知的遊びの要素を含めて、解釈することは、学習手段として、あながち、否定すべきことでもないと思います。
 むしろ、新字体になって五十年以上もたった今、今更という感さえありますが、子どもたちだけでなく、わたしたち大人にとっても、そこから、現在の漢字に対する興味や関心が高まり、転移力がついていく可能性さえありそうです。
 こうした考えで作ったのが本書です。漢字源の研究書ではありません。そこにあえて「下村昇の」と付けた理由もあります。本書は、旧著「教育漢字学習字典」(学林書院・一九六五年初版)を底本として書き直し、作り替えたものです。ですから、この本は「現代字体による新字源」であって、現在の常用漢字、教育漢字の字体にそった、一種の漢字のメルヘンとしての読み物だといってもいいかも知れません。メルヘンとして漢字を見たり、六書という先人の工夫した漢字のできかたを応用した知的な遊びとして、漢字を身近に感じて、楽しんでいただきたいと思います。
 本書の上梓に当たり、わたしは、とてもすばらしい方々を友とすることができました。それは何物にも代え難い、わたしにとっての宝物になりました。ことに、次のお二人には、ことのほかお世話になりました。
 そのお一人は、本書の親字一〇八七字の一つ一つに、成り立ちにそった絵をそえてくださった、画房・ハックルベリー・フィンの松枝達史さんです。松枝さんには、漢字の成り立ちの説明の理解を容易にするために、いろいろと絵の工夫をしていただきました。それはそれは、献身的に取り組んでくださいました。大変なご苦労だったようです。おかげで、説明不足のところがとても分かりやすく、易しいイメージになりました。この本をお読みくださったあなたも、あらためて、もう一度、成り立ちの絵を見直してくださると、先ほどまでは気がつかなかったであろう面白いところを発見し、自然に顔がほころんでくるこでしょう。そして、象形的手法の積み重ねによる本書の、ことばとしての漢字の、字形と意味との関係が、さらによく理解でき、納得できることと思います。
 もうお一人は、論創社の森下紀夫さんです。森下さんは、わたしの仕事に深い興味と、ご理解を示してくださいました。そして、本書の意義を高く評価してくださり、出版を快諾してくださいました。本書の上梓までに、幾たび当研究所に足を運んでくださったことでしょう。森下さんのきめ細かい連絡や励ましが無かったら、本書があなたの目に触れることもなかったかも知れません。本当に一方ならぬお世話になりました。こうした新しき友人に支えられて、本書は世に出ることが出来ました。
あらためて、ここに明記して、お礼を申し上げます。

一九九七年九月  

現代子どもと教育研究所 下村 昇


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